気について(2)気の働きとは

気の働き 体のこと

東洋医学には気のことが出てきます。この「気」についての情報は曖昧なものが多く、いまいちイメージが湧きにくいように思います。このブログでは、あくまでも個人的な意見になりますが、私が日々感じている気についてまとめてみたいと思っています。

前回は気がどんなものかについて書きました。今回は東洋医学で伝えられている気の働きについて、また古代の人たちはどのようにして気にこれらの働きを割り当てたのか、私なりの考えを書いてみたいと思います。

気の実際のところをもっと知りたい、という方にとっては少し話が逸れるかもしれませんが、読み物として読んでいただければ嬉しいです。

(この記事は「気について(1)気はどんなものか」の続きです)

東洋医学が伝える気の働き

東洋医学で伝えられている気の働きには次の5つがあります。

1、推動作用(全ての生理活動を滞りなく進める働き)

2、温煦作用(体を温める働き)

3、防御作用(体を守る働き)

4、固摂作用(血液、体液が漏れ出ないようにする作用)

5、気化作用(様々な物質を変化させる働き)

現代医学では体のどの部分がこういった働きを行っているのか、はっきりと分かっています。例えば2は、暖かい血液の循環であったり、筋肉を運動させて発熱していたり、これらは脳の視床下部に体温を調節する部分があり、そこから神経を通して指示が送られています。また3は白血球などの免疫系がこの役割を担っています。5は主に肝臓で物質を変化させる反応が行われています。このように伝えられている気の働きには、医学の発展によってそれらを実際に行う体の仕組みがが分かってきたものがあります。

東洋医学では現代医学ほど具体的に、これらの生理機能を果たしている部分や、その行なわれ方が分かっていませんでした。それは単純に科学技術が未熟だったからだと思います。現在のように精密な実験器具や装置などもなく、それどころか手軽にメモできる紙や鉛筆もなかったのです。

ただ解剖は行われていたようで、紀元前にまとめられた東洋医学の原典「黄帝内経(こうていだいけい)」にも胃の大きさや重さ、大腸の長さなどが書かれていて、これらの値は現代のそれとほぼ一致しています。その後の紀元16年に当時の中国の王朝「新」の王莽が反乱軍の首領である王孫慶を捉えて解剖させたという記録があり、中国史での解剖の記録はこれが一番古いものと言われています。でも黄帝内経「霊枢」には、

其死可解剖而視之

袖珍中医四部経典《黄帝内経》霊枢「経水第十二」, 天津科学技術出版社, 2000, 345p

「その死するや解剖してこれを視るべし」という文章があり、おそらくそれ以前にも解剖はされていたのでしょう(黄帝内経は編纂後も加筆や修正が行われていますので、後の世に付け足されたのかもしれませんが)。ただ古代の中国では「人の体を完全な状態に保つ」ことを重要視していて*1)、解剖は頻繁に行なわれるものではなかったようです。そして王莽の後は約1000年後の宋の時代まで解剖の記録は残っていません。そのようなわけで、現代のように学問として積極的に解剖されることはなく、体の構造や働きに関しては、数少ない解剖の記録から推測するしかなかったのだと思います。

黄帝内経には内臓(臓腑と表現されています)として肝、心、脾、肺、腎の五臓と、胆、小腸、胃、大腸、膀胱、三焦の六腑、そのほかにも脳、女子胞(子宮)などが記載されていて、一部を除き現代の解剖学とよく一致しています。これらの器官の働きもまずまず一致していて、各臓腑の生理機能を現代のように実験で確認する方法がなかった時代に、どうやって調べたのでしょうか。私はまず体の構造から類推したのではないかと思っています。

例えば、口からつながる消化管に胃、小腸、大腸があり肛門につながっていて、胃の中身は食べ物が溶けたものが入っていて、大腸には糞便が残っている、となると「これらの器官で食べ物を消化、吸収して、残りかすを排泄する」という消化器の働きが想像できると思います。また口からの管は途中で分かれていて、もう1本は胸の中の袋状の器官につながっている、となると肺の働きも想像できるでしょう。このようにして体の構造から内臓の働きを大まかに考えていったのだと思います。

ただ内臓の役割が分かっても、実際にそれらがどのように動いていたのか具体的なところは見当がつかなかったはずです。体には、食べ物の栄養素(当時は「水穀の精微」と呼んでいました)を消化吸収する臓器や、空気を吸い込んでガス交換する臓器などがあって、その中で何かを行って役割を果たしている。でも何をやっているのかはよく分からない、といった状態だったと思います。ですが黄帝内経の時代にも気を感じることができる人がいて、内臓の正気を「霧や露」のように感じていて、正気がある臓器はきちんと動いてそれぞれの役割を果たしている、ということは分かっていたと思います。おそらくそれ以上のことは分からなかったはずで「臓器の中で正気は何をやっているのだろう」という点から「気」の働きを考えていった結果、上記の1〜5にたどり着いたのではないでしょうか。

気の働き

最初に述べた通り、現代医学では東洋医学よりも体の生理機能がどのように行われているかが分かっています。上記の気の働きを担う器官や細胞などがはっきりしているのです。つまり、古代の人が気に割り当てていた働きを実際に行う体のパーツが分かってきたわけです。すると「体の働きを担っているのはこういった器官や細胞で、やはり気なんて存在しないじゃない」という話になりがちですが、そうではありません。気に割り当てていた様々な働きを実際に行う「体のパーツ」が分かってきただけで、これらを正しく働かせるのにはそのパーツに「気(正気)」がなくてはいけないのです。

例えば車のエンジンを初めて見る人がいたとして、この人は、エンジンがタイヤを回しているという働きは分かっていて、エンジンの中にガソリンが入っていることを感じることができるとします。そしてこのエンジンを分解するための道具が手元になかったとします。するとこの人は「エンジンがタイヤを回すという働きをしていて、これは中に入っているガソリンによって行なわれているのだろう」と考えるでしょう。ガソリンがなくなるとエンジンは動かなくなるのですから。そしてある日エンジンを分解する道具が手に入ります。この人はエンジンを分解して、ピストンやシリンダーなどの部品を見つけます。するとエンジンがどうやってタイヤを回していたのかを、もう少し具体的に知ることができます。今までガソリンがやっていると思っていた働きを、「実はピストンなどがこうやって行っていたのだな」と理解するでしょう。ですがガソリンがなくてもエンジンは動くかというとそうではありません。ピストンやシリンダーなどのパーツとともに、ガソリンがあることでエンジンは動くのです。

気(正気)はこの話のガソリンに当たると思っていただければいいと思います。体の生理機能を行うパーツとともに、体を動かすエネルギーである「正気」がなくては体は正しく動かないのです。ただ正気はガソリンと違って物質ではなく、物質とは違う次元?に存在しています(と思っています)。見ることも触ることもできません。でも感じることはできます。

気(正気)は体を動かすエネルギー

このように見ていくと、気の働きについて伝承されているのとは違う理解をすることができます。伝承されている気の働きは冒頭の1〜5ですが、医学の発展によってこれらの働きを行う体のパーツが見つかってきました。

胃を例に挙げますと、胃では食べ物を消化してドロドロの液状に変化させます。この働きを伝承された気の働きから考えると、まず食べ物を変化させるのですからこれは5の気化作用であり、また消化を進めるという点で1の推動作用も関わってきます。ところが実際に消化を行っているのは、胃の内壁にある消化液を分泌する細胞(壁細胞、主細胞、副細胞)や、様々な酵素で合成された消化液(ペプシン、塩酸)や、食べ物と消化液を撹拌する胃の筋肉層などです。つまり医学の進歩で食べ物を変化させる気化作用を行う体のパーツが分かってきたわけです。では気(正気)は何をやっているのかというと、これらの消化作用を滞りなく進める働き、つまり推動作用を担当しているということになります。

体の他の部分を見てもそのようになっていると思います。気の働きの2〜5を行う体のパーツがはっきりと分かってきて、実際に気が行っているのは1の推動作用だけ、というように思われるのです。気は体に重なって物質とは別の世界に存在して、体の働きが滞りなく行われるようにしている、いわば体を動かすエネルギーとしての役割を担っているように思われます。

*1)骨と肉:古代中国における体と命に対する見方 葛兆光 日文研オープンアクセス 2018 https://nichibun.repo.nii.ac.jp/records/6981